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千石 ウナギ整骨院のお知らせ 2019年3月 2ページ目

桜だより

今年の桜の開花時期が発表されています。もう,そんな時期なのですね。
となると,お花見の予定を立てたい方もいらっしゃるのではないでしょうか。

お天気などで若干の前後はあり得ますが,大体の予想では,東京での開花予想は3月23日(土),満開予想は30日(土)だそうです。

当院のある文京区では播磨坂の桜並木が絶景だそうです。約120本の桜が四月の上旬まで見られそうとのこと。また3月23日(土)~4月7日(日)は文京さくら祭りが催され,期間中の夜はライトアップされるそうです。

桜が咲いていれば近所の公園だってお花見できる…のかもしれませんが,せっかくの桜。院からは少し遠いのですが,私も播磨坂に足を運んでみようと思っています。

シンプル

東京オリンピックで競技種目を表す50種類の絵文字「ピクトグラム」が発表されました。
スポーツ競技に限定されたものに限らず,見る人がどの言語を使う人であってもイメージがわくように設けられた絵文字のことをピクトグラムというそうですが,お恥ずかしいことに私はここで初めて知りました。
例えばコレ。見たことがないという人の方が少ないと思います。
非常口です。

そしてこれ。いつもお世話になってます。
これは時々局地的ににこうなります。大体夏休みの池袋サンシャインシティに出現します。
そういえば,私が問診での身体の現状や治療方針の説明をするときも,トイレのピクトグラムみたいな絵を描いて行っています。
 

今回はこれといってオチはありません。
あ,そうだった。宣伝だけ一つ!ご予約の方に限り,お昼の診療やってます。待ち時間ゼロです。
時間はご相談の上で決めますのでまずはご連絡ください。お待ちしてます。

「わたしのことはイシュメルと呼んでもらおう。」

ハーマン・メルヴィルの『白鯨』,名作中の名作なので読んだ方も多いのではないでしょうか。

クジラに飲まれた男性が生還したというニュース(http://news.livedoor.com/article/detail/16146199/)は,小学生の時に読んだこの作品を思い出させてくれました。「鯨」の字も「マッコウクジラ」という単語も,ここで覚えました。久しぶりに,読み返そうかしら。


クジラによるようですが,ダイバーの男性をうっかり飲み込んだニタリクジラには歯がなく,細長い魚や小エビを胃に流し込むタイプだそうです。そのため助かったわけで,どのクジラでも大丈夫なわけではないそうです。マネはよしましょう。


花粉症二年目の私,今日は目が大変なことになっています。空気清浄機入れればなんとかなるんでしょうか。
どなたか,空気清浄機ください。

よろしかったでしょうか

東日本大震災の発生から8年が経ちました。
この日になると思い出す,と言われるようになりました。これは言い換えればこの日にならないと思い出さなくなってしまっているということで,多くの人の心が次へ向かえているということと言える。あるコメンテーターがそう言っていました。
しかし,大事な人や場所を実際に失ってしまっている人が「思い出さない日はないとお話になってるのを見ると,状況による温度差は感じます。致し方ないことかもしれませんが。

内閣府から,お願いという形で「東日本大震災から8年となる3月11日(月)午後2時46分に、それぞれの場所において黙とうをお願いいたします。」との提示がありました。多くの方がその通りにしたかもしれません。
私もそのつもりでしたが,その寸前に電話が鳴りました。患者さんからかもしれないと出てみると残念ながら営業。しかも「ウナギ整骨院さんでよろしかったでしょうか?」と,テレアポの資質を疑うレベルの言葉遣い。私は思いました。こいつはきっと何も考えてないなと。
「よろしかったでしょうかの時点ですでに全くよろしくない。こういう営業電話は次によほど良い掴み文句を投げてこない限りは聞かないようにしています。結局聞かなかったわけですが,内閣府からのお願いに従うことができませんでした。電話相手よ,誰かは知らぬが罪は重いぞ。

こんなことを言うと人格を疑われそうで怖いですね。
なので一応,補足しておきましょう。私も震災で友を亡くしています。3.11であろうとなかろうと思い出します。今日はただの今日,元気に生きる義務がある今日でしかありません。たまたま3月11日だって話です。

前半部分で疑問符が浮かんだ方,こんな補足でよろしかったでしょうか

とんでさいたま

今日は14時まで診療です。だいたい12時過ぎ頃から混みだしますので,お早めにご来院ください。


埼玉を小馬鹿にする表現がふんだんに盛り込まれていることで話題を集めている映画「翔んで埼玉」がすごい興行収入を得ているそうですね。地元(埼玉)の映画館はほとんど満員で,なかなか観られません。気になってはいるのですで,私は少しブームが落ち着いてから行こうと思っています。

怒る県民がいるのでは・・・?とも思っていたのですがむしろ逆で,県民や埼玉県知事をはじめ埼玉の関係者こそが面白がっているようです。
これは埼玉県民が寛大だから。と言いたいところですが,多分そうではないのでしょう。映画を観た人に話を聞くと「翔んで埼玉」は埼玉を小馬鹿にしているのは確かだけれども,その裏には埼玉への愛を感じるのだとか。県民が「そうそう,そうなんだよ」と言ってしまうようなローカルな話や県民でも知らなかったことが出てきて,作るために相当熱心な調査をしたのが端々に感じられため,面白く観られたということです。これがもし埼玉をひたすら持ち上げるような映画だったらここまで面白くはならなかっただろう,とも言っていました。

これは,映画に限らず日常の人付き合いの中にも活かせそうな話です。
相手を思いやっての言動であれば,ハタから見たら多少粗さのあるものであっても快く受け止めてもらえるのかもしれません。




毒にも薬にもならない話

中学生の時,教室の後ろの壁の掲示欄に自己紹介シートなるものを書いて貼っていました。
好きなものや嫌いなもの,最近ハマっているものや将来の夢などの項目があり,各々思い思いに書きました。その中でもよく記憶に残っているのは「尊敬する人」欄でした。家族,部活の先輩,歴史上の人物などいろいろでしたが,私はこう書いていました。

“フグを最初に食べた人

今思うとなかなかとんでもない答えです。オリンピックに出たOBの先輩も,織田信長も,両親ですらも,フグ食べた人に負けたのです。
でも私は当時,こんなストーリーを思い浮かべていました。


時は江戸時代・・・(※実際はもっと昔からフグ食はあったそうですが,当時はそんなこと知りませんでした)

権之助(漁師)「おい,今日は珍しい魚が釣れたぜ」
吉兵衛(問屋)「へえ,なんだこのフーセンみたいに膨らんだケッタイなやつは」
権之助    「魚には変わんねぇ。くれてやっから食ってみりゃいいさ。」
吉兵衛         「おやおやそうかい。タダとはありがてぇ。儲けさせてもらうぜ。」

吉兵衛    「てなわけでい。なんなら握ってみてくんねぇ。」
梅吉(寿司屋)「すっかりしぼんじまったが,膨らむたぁおもしれぇ。切ってみっか。」
吉兵衛    「おお,ずいぶんきれいな白身だな。うまそうだ。」
金次(常連) 「おお,新ネタかい。じゃあ,おいらはここをいただくぜ。・・・・・・・・・う,うおおお・・・!」
・・・パタッ・・・
梅吉     「なんでぇ金の字,うますぎて倒れちまったかい。・・・ん?おいどうした金の字。金の字!!」
吉兵衛    「どうしたこった。死んじまってやがる!」
梅吉     「いったいこの魚がどうしたってんだ。(パクっ)・・・・・・・・・ぐ,ぐええええ・・・」
・・・パタッ・・・
吉兵衛    「う,梅さん!!・・・ひ,ひぃぃぃぃ!!」


実際はどうだったかは不勉強なため知りませんが,フグをはじめに食べた人がフグ毒について知るはずもなく,詳細な成分検査をできる施設があったはずもないので,恐らくはじめに食べた人は残念な結果になってしまったでしょう。もちろん,たまたま内臓をきれいに取り除いて食べられる部分だけ食べていたら話は別ですが。



なお最近はテレビ等で扱われることもあり割と広く知られていますが,フグの持つ猛毒テトロドトキシンは自然の海でフグが食べるエサに由来するそうです。エサに毒があってそれを取り込んでしまうのだそうです。したがってエサを人工的に管理された養殖フグには毒はないということです。それでも調理には特殊な免許が必要です。

とかく,このように毒は避けるべきものという認識が通常ですが,中には量さえ間違えなければそうでもないものも。
食中毒の原因となるものの一つに「ボツリヌス菌」という細菌があります。人体に害があると言われるものですが,医療の現場で活用されています。多汗症状の緩和や,老化による肌のシワやたるみの解消にボツリヌス菌が使われているところもあります。そもそも予防注射も,かからないようにしたい病気の素を体内に打ち込むし,飲み薬の多くも毒になり得るものです。
テトロドトキシンの有効活用の話はついぞ聞いたことがありませんが,生活と毒は密接に関わっているようですね。





30分

治安の良いある国に住むある青年は,親のお金で通った大学の卒業を目前に控え,記念に海外旅行をしました。
行先は,治安がそう悪いわけではないが油断するとスリや置き引きをされるから注意するようにと言われる国。
青年はガイドから注意を受けたものの,荷物を手放さなければ大丈夫だろうくらいの認識でいました。

無事にホテルへ着き,荷物を軽くして食事に行こうと街へ出た青年。
そこで彼は後から走ってきた少年にハンドバッグをひったくられました。青年は少しの狼狽ののち追いかけようとしたものの,犯人の少年はもうどこにも見当たりませんでした。

幸い貴重品はポシェットに入れてあり,盗られたハンドバッグには少しの現金を入れてあったのみだったため大事には至りませんでした。
しかし平和な母国で何の危機にもさらされずに育った青年にとってこれは衝撃的な大事件でした。

帰国後,青年は過激な正義感に憑りつかれます。
大学を卒業し,地元の会社への就職をした青年は2年目の夏に連休を取り,再びかの国へ出向きます。
以前と同じホテルに泊まり,同じような身なりで街へ出ました。

すると,またしても青年のハンドバッグは走ってきた少年にひったくられます。
2年前と同じです。ハンドバッグの中身が現金でなく爆弾であること以外は。

ハンドバッグを盗った少年が見えなくなったとき,青年はスイッチを押します。
遠くでボンッと音がし,現場で片腕を吹き飛ばされた少年がうめいていました。

警察の捜査の結果,青年は逮捕され現地の法で裁かれることとなりました。

片腕を失った少年の家は大変貧乏で,唯一の働き手だった少年は仕事の収入だけでは家族を養えないと憂慮し,家族を生かすためにと初めて盗みを試みたといいます。
むろん,2年前に青年のハンドバッグを盗った犯人とは異なる人物でした。働き手を失った彼の家はさらに困窮することとなったとさ。

おしまい。





爆弾魔となった青年の動機は正義でした。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉をそのまま捉えるならば,彼はその通りの行動をしました。2年前の犯人ではなく盗みという罪そのものを憎んだわけです。

方法は間違っています。これは明らか。ですが,多少なりともその後の抑止力にはなったとしたらどうか。少なくとも盗みを働こうとした人にふと腕を吹き飛ばされる予感がよぎり,もし行いを改めたら,盗られそうだった人は間接的にかの青年に救われたことになります。

そう思うと,もはや正しいも悪いもごっちゃごちゃになってきます。だから法律って必要なんでしょうね。
法学部の友人が言うには,法律には「〇〇してはいけない」とは一切書かれていなく,「〇〇したら△△します」と書かれているそうです。
どんな動機があるかはさておきハンドバッグに爆弾を仕込んで少年の腕を吹き飛ばしたから裁きます,と至ってシンプルな話となったのは法律のおかげ。
一方,窃盗の少年は本来であれば加害者として正式に法で裁かれるシナリオのはずが,爆破というアドリブで一転被害者にジョブチェンジ。
総合して,青年が罪の重さ対戦で判定勝ちする形で悪者になった,という最適解に繋がらせられたということでしょう。



この事件が事実かどうかは確かではありません。つい最近,同級生が持ってきて30分ほど盛り上がったのがこの話です。
結論が出ない正義の話で30分,笑点で演芸+大喜利3つで30分,コアトレで腹筋を鍛える30分。

30分には色々な使い道があるようですが・・・思慮深く,笑って,健康に過ごしたいものです。


マラソンと国家試験

昨日の東京マラソン,雨でしたね。走者として参加した人も運営スタッフとして参加した人も大変でした。お疲れさまでした。
こういうことは本来昨日のうちに言うことなのですが,しっかりお身体を温めて伸ばして,筋肉痛を防いでください。(もう遅い!)
当院の患者さんにも出場した方がいらっしゃいます。夜に,走ったあとのケアにいらっしゃると思うので治療頑張ろうと思います。

ここ10年くらい走った記憶がない今となってはマラソンなんてとんでもない話ですが,高校生のときまではちゃんと走っていました。
私の出身校である埼玉県立浦和高校という男子校では毎年秋にマラソンが行われます。浦和の学校を出たあと,岩槻→白岡→久喜→幸手→栗橋 と,各関門に定められた制限時間を突破し古河まで完走すれば計52キロ程になります。なお,関門に引っかかるとそこでリタイア。そこから帰宅となります。イベントそのものは古河マラと呼ばれますがこれを言ってよいのは古河まで完走した者で,30キロ地点の久喜で止められてしまうと久喜マラと呼ばれ茶化されます。(私の在学当時は,の話です)

「それなら適当にちんたら歩いて岩槻で止まって帰れば楽じゃない」と思う方もいるかもしれません。わかります。その場合は浦高は向いてないかもしれません。
「走りが苦手な子だっているんだから」と思う方もいるかもしれません。わかります。私も徒競走は万年ビリでした。3年とも「古河マラ」ができたのは単に意地でした。両親に「古河で待ってると言われたものだから久喜でも栗橋でも終われなかっただけです。

現代とは合わない考えが一部あるかもしれませんが,並走してくれる仲間,追い抜くとしてもその際に軽く肩を叩いてくれる仲間に加え,もし途中でやめれば茶化してくれる仲間というのは良いものです。頑張らなかったものは次に頑張るために茶化されるというステップは必要です。「茶化す」と「貶す」は全く違うのですから。

ものによりますが,人にもよりますが,「得意/苦手」と「できる/できない」は別問題なんですね。
「得意」で「できた」は「やっぱすげーな!」
「得意」で「できなかった」は「何やってんだよ!」
「苦手」で「できなかった」は「次だ!次!」
「苦手」で「できた」は「よくやった!」

「やらない」を選ばない限りは全て前向きな言葉を受けるに値する結果を手にできます。
これはマラソンに限らず,試験でも仕事でも趣味でも同じことが言えるのかもしれません。


東京マラソンと同じ日,私たち柔道整復師の資格を取るための国家試験が行われていました。私の知っている人も何人か受験しました。
結果は月末までわからないのですが,前向きな言葉のみ用意しておきたいと思います。ちゃんと受けに行っていたら,の話ですが。



仕事を辞めた/辞めたい/変えたい人へ

大手コンビニチェーンのセブンイレブンが,従来の24時間営業を一部見直しを検討するに至ったと報じられています。
発端は,大阪の店舗が人手不足に苦心した末,時間を短縮したものの,契約との相違が生まれてしまい本社もめてしまったことにあるそうです。意見はさまざま聞かれます。「健康を害してまで働くことはない」「寝る時間は確保しないと」といった,店長さんを気遣う声もあれば,「それも含めて契約」「予期できた範囲ではないか」と厳しい意見もありました。

死ぬ気でやれ!死なないから!
と言って発破をかける場面もありますが,あれも考えものです。今はそれで本当に死んじゃう人がいるんですから。

労使の関係は基本的には契約で結ばれます。雇う側は一人ではできないから人手が欲しく,お金を出すからあなたの時間と能力と労力を貸してほしいと言って募る。雇われる側はお金が欲しく,私の時間と能力と労力を貸すからお金をくれと言って応じる。一応は対等なんですよね。とはいえ,たいていは雇う側が上になります。その方が結果的に物事がうまく回りやすいからです。

あくまでも,物事をうまく回すために便宜上 上下をつけているので間違っても「雇ってやってる」とか「給料泥棒」とかは言うべきでないでしょう。もし去られたら困るのは確かですから。
私も以前言われたことがありますが,「お前の代わりは幾らでもいる」もなかなかです。言われた人は傷つきそうなものですがこれは「お前の代わりは幾らでもいるから,自分が辞めたら他の人に迷惑がかかるなんて余計な気遣いをせず,縛られることなく生きたいように生きなさい。」とも取れるので部下は安心して他を探せばいいのです。その時私はそう解釈して,その日のうちに次を決め,契約上問題ない最速のタイミングで移行しました。「これから入れる仕事などそう簡単には見つからないぞ」とほくそ笑む(元)上司に「あ,このあと仕事なんで失礼します」と言って去ったのは私史上最高の乗り換えだったと思っています。


事実,「職場の代わりは幾らでもある」わけではなく厳しい現実に直面することもありますが,大丈夫です。
自分には資格も能力もないと,後ろ向きになる理由ばかりが挙がることもありますが,それを思う時間に一件でもまわってみると良いでしょう。就活という名前があるから採用が〇で不採用が×だと思ってしまいがちですが,それは違う。のちのちまで心に残る言葉をもらえる面接ができたら〇で,何も残らなかった面接が×なのではないでしょうか。入る入らないはオマケみたいなものです。

お金が欲しければ日雇いで机や椅子は混んだりシール貼ったりボールペン組み立てていてもいいのです。現に私は教員やっていた時より今より,日雇いでテント立てて家でボールペン作りながら株取引やっていたときの方が稼げていました。

退職や転職を奨励するわけではありませんが,もし今ある仕事を手放すこととなった場合も自分を見つめなおす好機と前向きに捉えて頑張りましょう!


あ,花粉症軽減コースのチラシの貼り出しを始めました。ユーザー増えるといいなー。




友人や同僚との関係を修復したい人へ

「大概の問題はコーヒー一杯飲んでいる間に心の中で解決するものだ。あとはそれを実行できるかどうかだ。

あるアニメで,登場人物の軍医が口喧嘩をする2人の怪我人に対しコーヒーを差し出しながら言ったことです。私は感銘を受けました。
喧嘩をしていたのは,正規軍所属とみられる軍人と,ゲリラ兵。原因は政治思想のようでした。双方が自身側の人民の利益を思う(=敵対勢力の損を狙う)と紛争が簡単に始まってしまうわけです。戦争で決めようとするのは今どきナンセンスだけれど,話し合いの場を設けたところで自身で決めた解決方法に相手を乗せることを目指して話し合いを始めたところで決裂する可能性の方が高い。

どこかで聞いたような話です。アニメじゃない ほんとのことさ。

もちろん,コーヒーに特別な効果があるわけではなく,紅茶でもコーラでも,なんなら青汁だって良いわけです。こういったものは2人の間の仲介役を担ってくれます。お互い身構えての対話,第一声を発することはとても難しいものです。まずは飲み物をすすり,カップをテーブルに置くときの音で気まずさをごまかしつつ互いの近況報告からゆっくり始めるのがよろしいのでしょうな。一度始まってしまえば,少しだけお話が転がりやすくなります。

私はこうやって,ちょっとしたことから2年近く絶交状態にあった友人と先日仲直りしました。


もちろん,仲違いした理由もそれぞれだし,別に仲直りの必要性も感じないと思う人もいるかもしれません。私はたまたま,仲違いを放置する必要性を感じなくなったから修復を試みただけです。
友人同士としての横並びの関係であれ,上司と部下のような縦の関係であれ同じだと思います。仲違いを放置するメリットなどそうないでしょう。

ここで大事だと思うことは,はじめから仲違いした原因には触れないことです。男性に多いような気がしますが,どうも決着をつけたがる人がいます。まずはあの件からだ,と。それに乗ってしまうと,状況は仲違い寸前のときと全く同じになり,なんなら関係が悪化するかもしれません。お互いが相手が悪いと思っている場合はなおさら。
解決したい気持ちは抑えて修復を優先し,まずは他の話から。で,場を温めることに成功したらのんびりと機会をうかがいましょう。そうしているうちに「ま、いいか」となったら儲けものです。どこぞの首脳会談程の重要性はないのだから,気色ばむことはありません。



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